Jリーグクラブ・水戸ホーリーホックを裏方としてサポートする、ボランティアスタッフのブログです。

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本日は2011年前半の記事を振り返ります。言うまでもなく、東日本大震災が起こった時期。
3・11前と後で、私達の世界観は根元から変わりました。良い方向なのか悪い方向なのかはわかりません。

ただ、「全てを無かった事にして突っ走る」のが、正しいとはどうしても思えない。
命を落とされた方、生活に困窮している方達を心に置き、何ができるかを考えるべきだと。
過去を踏まえたうえで今を生きて、精一杯の未来を描く。雑にブツ切りしてはいけない事で。

特に震災前の自分が何を考えていたか、掘り起こすのは怖い気もします。
それでも希望を抱いて歩いていくために、未熟な姿と向き合うのはきっと必要。
以下、当ブログから10本抜き出しました。


僕がサッカーボールを蹴りはじめたころ
中学時代Jリーグに感化されてボールを蹴りはじめ、今に至る私のヒストリーです。
雨の試合で身体から湯気が出るあの感覚は、多くの人に語らなくちゃいけないと妙な一念がありました。
ネタ的に滑る事への覚悟は固まってきたものの、まだ「自分語り」から脱していませんね。

3000万円の話
クラブの資金繰りが本格的に厳しく、チーム解散の危機を迎えた2年前。震災でさらに追い討ち。
「負けてたまるか!」闘志を燃やす一方で、「今年が最後かもな・・・」と陰腹きった記憶があります。
文中の『お金では買えない価値のあるものに人は集まり、ひいてはお金も集まる』が、現在にも通用する言葉。

プレッシャー
社会人サッカーで、右サイドMFとしてプレーしていた頃の話。自分のボールタッチひとつでチームが
残留できるかどうか決まってしまうかもしれない重圧は、今思い出しても嫌な汗が出ます。
『火事場の馬鹿力で何とかなる!』は、都合の良い幻想にすぎないと経験的にわかりました。
だからこそ普段から、危機に巻き込まれないため努力を重ねなくてはいけませんね。

東北ボランティアサミット報告
福島県土湯温泉にて行われた、東北交流会のレポート。震災1か月前の話です。
当時は「楽しい!」という感覚しかなく、それが当たり前だと思ってました。
その後地域の人々が多くのものを背負い、私達が背負わせて、さらに忘れ去ろうとしている事。
罪悪感から逃げ回るだけでは、何も前に進まないのだと改めて感じます。

東北地方太平洋沖地震
3月12日、迷った末にブログ更新。誓った事は今も実践できているか?嘘にはしたくない。

森賢一選手の引退に寄せて
夏場まで快進撃を見せ、急失速した2009シーズン。崩壊状態のチームを立て直そうと気を吐いたのが森選手。
空前のイケメン率に沸いた2010シーズン。観客動員ワースト脱出のため企業回りを率先して行った森選手。
あまり語られる事はないけれど、水戸を支えた一人として強く記憶にとどめたいです。

千葉遠征
液状化等の被害を受けながら茨城のため、チャリティイベントを開催してくれたジェフ千葉。恩義は忘れません。
彼らの持つ「優しさ」は、日本サッカーが誇る宝物。強く優しく堂々と、J1復帰してほしい。
来シーズン、感謝を新たに全力でぶつかりたいと思います。

雨と汗と涙
今までで一番魂込めて書き切った文章。反響も大きく、このブログに意味を見いだせました。
やったのはただスタジアムの現場に参加して、起こった事を記していっただけの話。
皆で一体となって作り上げた雰囲気そのものが素晴らしければ、余計な飾りを加える必要はないのだなと。

納豆
水戸で生まれたアイデンティティを、納豆から語ってみました。
震災影響でスーパーの店頭から納豆が消えたのは、地味にショックだったと思い出します。
それだけに好きなブランドの工場が再開した時の嬉しさといったら。「復興」って、こういう事なのかなと。

鈴木隆行選手の入団に寄せて
W杯戦士が、水戸ホーリーホックに入団!その高揚感だけでも救われた人は数知れません。
正直な話として当時は彼のプレーを長らく観ていなかったため、「出オチ」の可能性も少し頭をよぎってました。
そんな懸念をよそに別次元の強さを披露、37歳で12得点を叩き出した大暴れは周知の通り。
改めて、最大級の土下座倒立を(大汗)。本当に本当に本当に、来てくれてありがとうございます!!!!


「チカラをひとつに。 -TEAM AS ONE-」

by 小番頭・K

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