Jリーグクラブ・水戸ホーリーホックを裏方としてサポートする、ボランティアスタッフのブログです。

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苦しい時期こそ、しりとり!当ブログの合言葉でございます(笑)
ここまで80名をつなぎ、ネタそのものが苦しくなってきましたが、めげずに頑張ります。
前回はJ創世記のレッズを支えた、トリビソンノで終了。もはや自分の記憶との格闘ですね。


→ ノグチピント
2001年~2002年/2003年大分トリニータ。2002年サガン鳥栖。
2004年~2006年柏レイソル。2007年アビスパ福岡。
小学生の時にブラジルから埼玉県加須市に引っ越し、日本帰化した彼を「助っ人」として良いものか?
しかもセカンドネーム『エリキソン』を加えたら、しりとりが終わってしまうという(大汗)

九州のJクラブは個性派のGKが育つ印象。
西川周作(大分→広島)、佐藤優也(北九州→東京V)、金山隼樹(長崎)など
「この才能、どこから沸いた?」と唸らせるプレーヤーが年に1人は現れます。
佐藤選手に関しては甲府や札幌での所属歴もあるけど、北九州で一気にブレイクしましたからね。

ノグチピント選手も名鑑を見るたび気になっていた存在ですが、残念ながらプレーは未見。
福岡退団後は郡山→長野と転戦し、現在はタイリーグで奮闘する日々。同い年だけに頑張ってほしい。

タイといえば来月からの移籍が発表されたカレン・ロバート選手。
現所属のVVVフェンロ(オランダ)では、10番を背負っていたのですね。
興味がなかったわけじゃないけど、情報断絶は恐ろしい。
彼も日本の高校で活躍、ルックスの良さもあり「モテるんだろうな~」と純粋(不純?)な感想を持った当時。
あれからもう10年が経とうとしてます。J復帰クラブは水戸でどうですか?茨城県土浦市出身。

→ ドロブニャク
1998年~1999年ガンバ大阪。「どぶろく」+「コニャック」で酒に強そうだと勝手なイメージを
抱いていた高校生当時。そのネタを誰に披露する機会もなく成人した私は、お酒をほとんど飲めません(苦笑)
ドロブニャク選手本人はユーゴスラビア代表でも高い決定率を残した、優秀なFWでした。

現在の国籍はモンテネグロ。繰り返される紛争によって分裂した国々。民族や宗教が複雑に入り組む中、
彼らは何かを失ったのか?それとも取り戻したのか?深く考えさせられるテーマです。
これまで馴染みの薄かった東欧で日本人がプレーしたり、代表クラスがJで活躍する近年。
互いの文化や考え方を理解し、サッカーを存分に楽しめる時代が来てほしい。アジア地域との関係性も同様。

→ グーガ
1996年セレッソ大阪。私もしばらく忘れてました(汗)何せ日本でプレーしたのがわずか4か月。
移籍は実に21回。しかしエクアドル、ブラジル、サウジアラビア3か国で得点王に輝いた経歴から、
間違いなく実力あるFWだったでしょう。1つのクラブに忠誠を誓うのも格好いいけど、
己の足だけを頼りに新天地へ道を求め続ける生き方も、男のロマンとして憧れます。

それにしても当時のセレッソ大阪メンバー。森島氏や西澤氏といったクラブの象徴はもちろん
木澤正徳、藏田茂樹、稲垣博行、神田勝夫、皆本勝弘、見崎充洋、百武義成など
粗いながらも楽しそうにサッカーをしていた雰囲気を思い出し、何か泣けました。

→ カポネ
1997年京都パープルサンガ。高校時代の大半を費やしたトラウマゲーム『サカつく2』において、
序盤の有力な補強対象として紹介されていた記憶が。しかしJクラブから獲得するには移籍金が
かかってしまうため、資金に乏しい1年目は無所属のそこそこ優秀なプレーヤーで入れ替えを図るのが鉄則。
というわけで『ランクス常陸太田』のユニフォームに、カポネ選手が袖を通す事はありませんでした(苦笑)

ゲームを始めた当初はそんな攻略法も知らず、ランク的に「D」から「F」の選手達を我慢強く育成。
土のグラウンドをひたすら走らせるという、昭和的なトレーニングで(笑)
選手間の不仲に頭を抱え、「お前ら仲良くしろ!」とTV画面に向かって叫んだ事も。ああ恥ずかしい。
8年目に横浜フリューゲルスをVゴールで破って初優勝を決めた時は、感動で背筋がしびれました。

攻略本を買ってからは設備やホームタウン投資など、効率的な強化法を学びお金が余るぐらいのクラブ経営
できるようになりましたが、結局いちばん楽しかったのは無知で我流なやり方をしていた頃だなと。
初期メンバーにて、絶大な存在感を発揮した孤高のストライカー「加藤文夫」よ、永遠なれ・・・!

→ ネネ
2004年~2007年浦和レッズ。各年度のリーグ戦出場は10試合前後。もっと出ていたイメージが。
怪我に悩まされ目立った数字は残せなかったものの、要所できっちり仕事して浦和の黄金時代を支えました。

こういう活躍の仕方は「持ってる」のか?「持ってない」のか?クラブとして評価は高いのか?低いのか?
下世話な疑問を抱いてしまいますが、ひとまずサッカー選手にとって怪我は痛い。精神的にも肉体的にも。
それは基本的な共感として応援するのが良いかなと。痛さと背中合わせに、彼らは日々闘っているのだと。

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