Jリーグクラブ・水戸ホーリーホックを裏方としてサポートする、ボランティアスタッフのブログです。

2017/031234567891011121314151617181920212223242526272829302017/05


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

少し早いけど
HAPPY BIRTHDAY J!!

早いものでJリーグも20周年。国立競技場に無数のフラッグが踊り、
チアホーンが鳴らされる光景が昨日の事のよう。
その開幕戦のピッチには我らが闘将・柱谷哲二監督も立っていたんですよね。
TVの世界でしか知らなかった人物が、こうして水戸の町でチームを率いているとは・・・。

記念すべきJ史上初ゴールを挙げたのが、ヴェルディ川崎のマイヤー選手。
今では珍しいオランダ籍プレーヤーですね。遠かったオランダも、今や有力な選手の「輸出先」に。
20年前と比べ世界に通用する日本人が増えた一方、助っ人の顔ぶれはやや地味になってしまいました。
メジャーリーガーが続々来日している最近のプロ野球の例もあるし、また賑やかになると良いですね。

前回は10年前に水戸でプレーした、チリ出身の方のフランクで終了。


→ グラウシオ
2005年~2006年アビスパ福岡。いや、彼は手強かった。
南米特有の嗅覚というか、抜け目なさでゴール量産していた記憶が。
同時代に在籍のホベルト、アレックスも優良銘柄ですね。トリオで厄介。

彼以降、福岡で36番を付けたプレーヤーは出ていません。ビスコンティ42番という時代もありました。
どのチームでもそうですが、1種登録の支配下選手は減っているのでしょう。
シーズン途中のレンタルも可能な今、「スクランブル要員」の必要性は薄れているのかも。
出場機会という点でそれは選手にとって幸せなのか、不幸せなのか?しばし考え込んでしまうこの頃。

→ オリビエ
1996年名古屋グランパスエイト。J通算16試合しか出てないけどこの名前、なぜかよく覚えてます。
他にもビニッチとかパシとか、記録以上に脳裏に深く刻まれてるんですよね。
それは私が当時ジェフサポで、彼らにピンポイントでやられた記憶でした(苦笑)

→ エムボマ
1997年~1998年ガンバ大阪。2003年~2004年東京ヴェルディ。
2004年~2005年ヴィッセル神戸。経験やテクニックで圧倒した助っ人は数あれど、
フィジカルで差を見せつけたのは彼が最初ではないでしょうか。
ヘディングの高さを胸トラップ、歩数は一緒なのにDFをぶっちぎる等、超人プレーの数々は日本サッカーに
もうひとつの「カルチャーショック」を与えました。対峙する絶望感は半端なかっただろうなあ・・・。

カメルーン代表でも実力通りに大活躍したものの、イタリアやイングランドではいま一つだった模様。
戦術寄りの文化に馴染めなかった?スペインのA・マドリードあたり行ってたら、より面白かったと思います。

→ マラドーナ
1996年アビスパ福岡、1997年~1998年コンサドーレ札幌。
全世界が知る唯一神ディエゴ・マラドーナの実弟。彼ウーゴ・マラドーナは兄のような伝説は
残せなかったものの、日本でのプレー歴を振り返れば興味深い。

PJMフューチャーズ(サガン鳥栖の前身)21試合17得点、
福岡ブルックス(アビスパの前身)27試合27得点、コンサドーレ札幌28試合10得点。
旧JFLながらMF登録でこの数字は、突出していたと言えるでしょう。

3チームがJへ上がる下地を作り(フューチャーズについては諸々ありましたが・・・汗)
地域密着を体現した存在として、改めて評価されても良いと思います。

→ ナザ
2001年~2002年横浜Fマリノス。まさかのJ2降格危機に瀕していたマリノスが夏場に緊急補強。
同時に獲得したドゥトラ、ブリットとともに大車輪の働き、残留の立役者になりました。
当たりを3本引き当てたのは強運もあったでしょうが、やはりクラブの資金、スカウトも含めた
地力は馬鹿にできません。笠松でマリノス戦という「if」は実現せず。
観たかったような、観たくなかったような。


助っ人が左右するのは試合だけでなく、順位やJの勢力図まで及びます。
それぞれの歩幅でピッチを駆け抜けた、彼らの知恵と情熱に改めて敬礼!!

スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。