Jリーグクラブ・水戸ホーリーホックを裏方としてサポートする、ボランティアスタッフのブログです。

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水戸を含め各クラブ、移籍が活発になっています。岡本達也選手の件はびっくりしました。
ボランティア慰労会にも参加してくれて、精神的支柱になるプレーヤーと信じて疑わなかった。
私達のチームに対する想いも、直に受け止めた上での決断。まだスッキリ送り出す気持ちにはなれませんが
今年の鳥取戦、敬意を持ってゼロ封する事でその覚悟に応えたいと思います。

改めて「チーム編成って何だ?」と考え込んでしまうオフシーズン。昨年はJリーグで最も少ない強化費で、
様々なアクシデントに見舞われながら13位の成績を収めました。勝ち越しもあと一歩だった。
水戸のスカウトと育成力は、優秀と言えるでしょう。その財産をこれからどう生かしていけば良いのか?

日本のプロスポーツ史上で最も成功している『育成型チーム』は、野球の東京ヤクルトスワローズだと
私は思います。決して豊富とはいえない資金力で才能ある選手を発掘し育て、メジャーにも送り出す。
助っ人外国人もまず外さない。主力をたびたび金満球団に抜かれながら、3年に1度は優勝に絡んでいます。

そのチーム史は1950年に『国鉄スワローズ』として誕生してから、苦難に満ちたものでした。
セ・リーグ参戦20年間で、Aクラス(6球団中3位以上)となったのはわずか1回。
さらに初優勝は1978年、創立29年目での事。ファンはどれだけ待ちわびたでしょう・・・。

戦後間もなく巨人などが「職業野球」の礎を築く中、スワローズ初期の選手は『国鉄職員選抜』という陣容。
補強も他球団で一度引退したプレーヤーが復帰し4番を打つなど、涙を誘うものでした。
金田正一という怪物ピッチャーはいたものの、チームとして機能するまで数十年の歳月を要した。

身売り先スポンサー(ヤクルト以前)の意向でチーム名が突然『アトムズ』になったり、
ドラフト指名11人中9人が入団拒否したり、ファン脱力のエピソードも多かった。

泣くか開き直るしかないシーズンが続く中でも、生え抜き選手は着々と育っていました。
首位打者、防御率1位、本塁打王。タイトルホルダーが引退して指導者となり、後進を育てる。
ゆっくりゆっくり土壌を築き迎えた90年代。野村克也と古田敦也、2人の天才の出会いにより
ついに栄光の時代が始まったのです!


・・・熱くヤクルト史を語ってしまいました。ちなみに私は広島カープファンです(笑)
今日の話がどうサッカーにつながっていくかというと、毎年選手が入れ替わって不毛と思われる歴史にも
ちゃんと『積み重ね』は生まれている事。2004年に10番を背負った樹森大介氏がユース監督となり、
チームをプリンスリーグ昇格に導いたのは画期的なイベントでした。

水戸ホーリーホックも、「主力を取られ新卒を取る」無限ループから脱しつつあります。
新入団の木暮郁哉選手も近藤岳登選手も、J1で30~40試合の経験を積んでいる。

全国的な知名度はないかもしれませんが、前所属チームで才能を高く買われたりサポーターから愛されたり、
『カラー』を持った存在が集うようになった。強化費は依然厳しい状態だけど、「水戸に行けば成長できる」
一種のブランド力が、チームを押し上げています。彼らが育って活躍すれば、お金も活発に回る。

栄光をつかむまで何十年も待ちたくありませんが、スワローズの歴史から感じ取るものは多いです。
貧乏、弱小、不人気でも、常に可能性はそこにある。愛情持って育てればいつか花開く。
シーズンの1日1日を「捨てずに」過ごす事が一番大切だなと思う、開幕2か月前。

by 小番頭・K

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