Jリーグクラブ・水戸ホーリーホックを裏方としてサポートする、ボランティアスタッフのブログです。

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本日行われたプレーオフ決勝は、大分トリニータがジェフユナイテッド千葉を破り
見事J1への切符を手にしました。リーグ戦6位からの勝ち抜け、そして債務超過約6億円での昇格。
余所者としてドラマと同時に、どこか釈然としない思いも正直あります。

しかし最後は『県民がチームを見捨てなかった事』で、道はつながったのかなと。
大分が11億円超の負債を抱えJ2降格した2010年、バッシングを受けていた頃はよく覚えています。
前年韓国で行われたオールスターマッチにおいて、現地の屋台でトリニータボランティアの皆さんと酒を
酌み交わした縁があり、「他人事」と切り捨てる事もできず大銀ドームの運営に参加しました。

その時の相手がジェフで、確か0-2で負けた試合でした。私は元ジェフサポだけど、この日は「大分の友達」
を元気づけたくてボランティアに入った。当時の空気はやはり重く、着任したばかりの青野社長との信頼関係も
まだ強くなくて、真っ暗なトンネルを進むような状態だったと思います。私自身も複雑な気持ちでした。

あれから2年半が経ち迎えた今日。サッカーは色んな人や物事が絡み合ってるのだなと、改めて実感します。

そして個人的に思い入れが深いのは、決勝点を挙げたFW林丈統(たけのり)選手。
3年前は西京極で大分の降格を決定づけるゴールを挙げ、今回は古巣の夢を打ち砕く仕事をした。
彼も複雑な背景を持ったプレーヤー。1980年生まれの32歳、私と同い年です。

林選手は高校選手権で得点王となり、期待のルーキーとしてジェフ市原に入団。
自分とそう変わらない体格の快足ストライカーが、当時愛していたチームの一員となる。
もう、夢中で応援しました。茨城県北の実家には千葉テレビが入らないので、たまたまラジオで放送された
浦和レッズ戦を真剣に『聴戦』。実況からプレーを脳内再生し、その存在を魂に刻みつけました。

彼はプレーヤーとして、私はボンクラ学生として着実にキャリアを重ねる中、つくばから原付で市原臨海まで
足を運び、ゴール裏で「ハ・ヤ・シ!ハ・ヤ・シ!!」とコールする瞬間が人生で最も大切に思えた。
俺は、あんなFWになりたかったんだ。叶わなかった自分の夢を体現してくれる男と信じていた。

互いに少し歳を食い、転機が訪れたのは2006年。林選手は京都パープルサンガ、
私は水戸ホーリーホックへ人生初の『移籍』を決意し、心から愛したジェフから離れました。
これで道は分かれた。だけど次年たまたま観戦した鹿島-磐田戦、ジュビロへ戦いの場を移していた彼が
目の前でゴールを決めました。縁は切れてなかったのだと、勝手に思い込んだ。

さらに時は進んで2010年、古巣ジェフへ戻った彼をKsスタで迎え撃つ展開が待っていた。
「タケ、俺らもう三十路だぜ」。直接話せるわけじゃないけど1999年から続く『腐れ縁』に苦笑しつつ、
嬉しい再会を心から噛みしめました。18歳だったあの頃から、きっと大人になったんだよな?と。

今までJリーグの舞台で挙げた通算ゴールは28。決して多くはありません。
とはいえ林丈統という男、やはり『持っている』。春先にタイリーグでプレーしてた選手が、
クライマックスでチーム・サポーター・関係者すべての人生を変えるゴール。普通じゃ到底できない。
県民から募った1億2000万円分の価値がある、本当に重たい一撃でした。

同年代のマイヒーローである林選手が、いつか水戸ホーリーホックでプレーする。
密かに描いてた夢だけど、もう少し先の話になりそうですね。彼が現役のうちにJ1の舞台で相まみえたい。
その暁には、サインぐらい貰っておこう(笑)


大分トリニータ関係者の皆さん、改めてJ1昇格おめでとうございます。
3年前はおそらく人々から罵声に近い、厳しい言葉も浴びせられたでしょう。
人生における可能性の90%は、自分自身の手で潰してしまうもの。
残りの10%を信じて踏みとどまり、栄光を掴んだ皆さんの精神力を心から尊敬します。

また大分ボランティアkmさん、STさん。震災の時にはメールをくれてありがとう。
心の温かさに勇気づけられました。今日は美味しいお酒、飲んでくださいね!

「チカラをひとつに。 -TEAM AS ONE-」

by 小番頭・K

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