Jリーグクラブ・水戸ホーリーホックを裏方としてサポートする、ボランティアスタッフのブログです。

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アウェイ連敗、DFライン負傷と出場停止。新布陣の連係、コンディション。
不安要素を抱えたまま戻ってきたホームKsスタで難敵・ガイナーレ鳥取を迎え撃つ第32節。
万全の状態で対戦したかった所ですが、それは贅沢というものです。『試練』の意味は、
決心の固さや実力を厳しく試す事。ここでやり切ればもうひと回り大きく、強くなれるでしょう。

そんな中でチームスポンサーが次々と決まったのは明るいニュースです。坂東太郎様は5年前
東海村のお店に試合告知ポスター貼らせていただいた、個人的な歴史がありました。マネージャーさんが
「あんまりポスター、受け付けてないんだけどねー。でも貼っとくよ、頑張ってね!」と声かけてくれた
のを覚えています。これも伏線になったはず(笑)金久保選手のふるさと境町にある総本店へ食べに行こう!

筑波銀行様は前身の茨城銀行から、アパートの家賃を振り込んでました。
「ホーリーホックのスポンサーになってくれないかな~」という夢が、また現実になりました。
厳しい社会経済の中で貴重なお金を出してくれる恩は、現場で懸命に働いて盛り上げ、お返ししたいです。

春に連勝していた頃、こんなに苦しむとは思ってませんでした。しかし薄々自覚していたクラブ全体の
「力の足りなさ」が、今のタイミングではね返っただけの事。関わる選手・スタッフ・裏方は、
それを埋めようと懸命に努力し続けている。何も恥じる必要はないし、恐れる必要もありません。

苦しい時、厳しい時こそ自分を信じ愚直に闘う。そして大切なのは元気と笑顔!
当ブログは恒例企画・助っ人しりとりで皆さんのご機嫌うかがいます。方向性は間違ってないはず(汗)

前回は広島に在籍したFWスカチェンコで、通算50人をつなぎました。100人目指しまだまだ行くぞ!

→ コリカ
2000~2001年サンフレッチェ広島。オーストラリアサッカーにおいてレジェンドの1人に数えられる
攻撃的MF。この時代の広島はアーノルドヴィドマーなど、オーストラリアから多くの助っ人を
連れてきてます。とりわけ鬼のようなセンターバック、ポポヴィッチのインパクトは絶大だった。

サンフレッチェの助っ人史を見返してみるとブラジルや韓国はもちろんチェコ、アメリカ、イングランド、
スウェーデン、ノルウェー、ポルトガル、ウズベキスタン、ブルガリア、カメルーン、クロアチア
そしてグルジアと、実に多彩です。やっているサッカーに『豊かさ』を感じる、ひとつの要因なのかも。

オーストラリアといえば、「とりあえずフィジカル強そう」なイメージ。言ったら怒られますかね・・・。
日本代表の前にたびたび立ちはだかる壁だけど、知ってるようで知らない事が多い国です。
対戦や選手を通して、理解を深める意義はあると思います。それが私達の成長にもつながるから。

→ カボレ
2008~2009年FC東京。柔軟な股関節を生かし難しい体勢、角度でもゴールに流し込める
スキルフルなFW。浮き球をボレーで叩きつける技量は天下一品で、対応するDFには厄介極まりない存在。
優良助っ人として活躍しましたが、シーズン途中でカタールリーグへ移籍が決定。涙の別れとなりました。

Jリーグで存在感を発揮したブラジル人選手が中東に行ってしまう最近の流れは、クラブの強化策も含め
批判というか落胆の声が集まる所。しかし当人達にしてみれば目先のお金よりも、引退後の生活を心配しての
選択なのかもしれません。セカンドキャリアでどれだけ稼げるかは、日本以上にシビアなイメージがある。
ピッチ上でのプレーはもちろん、サッカー選手の人生に思いをはせるのも無意味な事じゃないなと。

→ レ
2004年ヴァンフォーレ甲府。J2リーグ6試合に出場したDF、誤植ではありません。背番号は31で
後にあの林健太郎氏が背負う事になるのですね。本名は『レアンドロ・セザール・デ・ソウザ』。
登録名を縮めるケースは多いけど、それにしても思い切ったなと。幼少時からそう呼ばれていたのでしょうか。

Jリーグ2004シーズンにはレアンドロ・ヴィエイラ(京都)レアンドロン(神戸)がいたから、
重複を避ける意図もあったのかも。今も試合観ていて「どっちのレナト?」「いつのアレックス?」などと
混乱してしまう事あるので。サッカーと関係ないけどアラン・ドロン思い出した。混乱しすぎですね(苦笑)

当時甲府の試合を観ていなかったので謎は深まるばかりです。選手紹介やサポーターのコールは?
試合中のコーチングも「レ、11番!」「レ、右ケア!」といった感じなのか。
情報や記憶またはサインを持っている方、『俺のレ』係までぜひお便りください!

→ レジ
2003年京都パープルサンガ。オランダ国籍のFWでJ1出場7試合2得点。少し寂しい数字ですが決定率
としては悪くないですね。登録名で情報検索かけてみたところ案の定「京都 レジスター販売」という
ページがヒット。本名の「レジリオ・シモンズ」でやり直したら女性フォークデュオ『シモンズ』
歌唱動画が出てきて「♪ほーら、チェルシー もひとつ、チェルシー」のハーモニーに思わず号泣。

そして下妻のご当地アイドル『しもんchu』は元気だろうか?どんどん脱線。
デビュー曲『恋の砂沼サンビーチ』とは、凄い地元密着感。テクノ調の出囃子(?)も中毒性高い。
ゆるキャラから萌えキャラに華麗な転身を果たした「シモンちゃん」など度々やってくれますね、下妻市。

レジ選手、ごめんなさい・・・。

→ ジーコ
1992~1994年鹿島アントラーズ。日本サッカーの功労者という言葉では、足りないぐらいの偉大さ。
私は鹿島ファンではありませんでしたが、細胞レベルで影響を受けている。茨城県民の義務教育です。
古河一高や水戸商業の全国優勝で一時代を築いたものの、「サッカーどころ」とは言い難い
茨城の土地にプロチームが生まれ、かつ強豪として名をはせているのは本当に画期的な出来事でした。

水戸ホーリーホックの立ち位置についてよく「鹿島があるから、なかなか盛り上がらない」という議論が
沸きますが、私個人としては「鹿島があるから、水戸が存在している」のだと思います。
県民性からいって何かきっかけがない限り、1からクラブを立ち上げる機運は生まれなかったと。

想像に過ぎませんが、鹿島アントラーズの成功がなければ水戸は今頃『将来的なJリーグ入り』を目指して
関東リーグ2部あたりを四苦八苦しつつ戦っていたのかもしれません。私達は現在プロリーグに属し、
同地域の「憎いけど大きな背中」に追いつこうとチャレンジを重ねている。本当に幸せな事です。

ひとりのパワーや情熱が環境を変え、歴史を創った。これは神話とも言えるけど、自分達に全く
無関係というわけではない。目標と信念を貫くからこそ、ままならない状況も人の心も動かせる。
小クラブの裏方だからと卑屈にならず、自分も含めた大きな可能性を信じて闘い抜きたいです。


以上、お楽しみいただけましたか?次回しりとりはいつになるかわかりませんが、
かなり濃ゆい助っ人達が登場する予定です。よろしければご期待下さい。
水戸はまだまだ死んでません、明日もKsスタに皆の元気を結集しましょう!

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