Jリーグクラブ・水戸ホーリーホックを裏方としてサポートする、ボランティアスタッフのブログです。

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仕事始めの皆さん、お疲れ様です。年末年始のテンションと体重(苦笑)を戻すのは難儀ですが
それぞれのペースで徐々に慣らしましょう。私も明日から会社。

さて、久々のしりとり企画でご機嫌うかがいます。前回アップは8月20日。
チームとしてもボランティアとしても苦しんだ時期だったけど、だからこそここまで来れた。
今年も前を向いて、上を目指して皆で頑張ろう!

・・・というのは今回のしりとりが、苦しい展開になる前フリでもあります(大汗)
紹介するほとんどの選手が1シーズン限り、Jリーグ通算出場30未満。
3人以上わかった方は、かなりのマニアです。今度Ksスタで握手しましょう(笑)
『吾生涯Jバカ』ステッカーでも作ろうかな。

前回はグランパス創世記のファイター、「ガルサ」にて終了。

→ サウロ
1999年アルビレックス新潟。通算23試合出場6得点のFW。なかなかの決定率です。
個人的にはドリームキャスト版『サカつく』で時々やられた思い出が。ゲーム内で10年目以降、
他チームが鬼のように強くなるんですよね。新潟にローマン(ロマーリオ)入った時は半泣きした。

このサウロはアルビレックス新潟の、Jリーグにおける記念すべき「初代10番」なのですね。
変遷をたどるとマルコ、リンドマール、アンドラジーニャ、マルクス、エジミウソン、
マルシオ・リシャルデス、そしてミシェウとオール外国籍。マルクス!めちゃめちゃ点取ってた!

ちなみに1997年Jリーグに固定背番号制(昔は試合ごとスタメンに1~11番が割り振られてました。
リトバルスキーが途中出場で15番付けてたのも懐かしい。かつてガンバに在籍した今藤幸治選手は
2~11番まですべて背負ったという快記録が。ガンバ大阪史上初の日本代表に選出されるも、
脳腫瘍により30歳の若さで他界。改めて今藤選手のご冥福をお祈りします・・・)が導入されてから、
オール日本人で通したのは清水エスパルス(澤登正朗、藤本淳吾、小林大悟)とジュビロ磐田
(藤田俊哉、成岡翔、山田大記)。やはり素晴らしきライバル関係です。

で、肝心のサウロのプレーぶりは・・・観ていないのでわかりません(汗)
こうして外堀を埋めるしかない情けなさったら。

→ ロッサム
1993年ヴェルディ川崎。オランダ出身で190cm82kgという堂々の体格を持ったDF。
セカンドステージ(ニコスシリーズ)から、ぺレイラとセンターバックを組む。何もかも懐かしい・・・。
中学生時代にJリーグチップスでロッサムのカードを当てました。まだ実家に残ってるかなあ。

ヴェルディ退団後は地域リーグのアルビレオ新潟(アルビレックス新潟の前身)でプレーしたのですね。
新潟や清水、大宮はオランダの選手が妙にしっくり来るよなあと思ってたらそのはず、
代表ユニがオレンジ色だからでした。愛媛にロッベン入団とかなったら大騒ぎですね。

→ ムタイル
1996年~1998年川崎フロンターレ(前身の富士通含む)。1999年モンテディオ山形。
Jリーグ史上初のナイジェリア人選手です。昔ジェフにヌワンコ・カヌ入団の噂もあったっけ(遠い目)。

ムタイルは背番号11でしたが、川崎も10番はオール外国籍(ベッチーニョ、ティンガ、マジーニョ、
リカルジーニョ、マルキーニョ、ジュニーニョ)だったのですね。凄い『ニョ』率(笑)
水戸にも在籍した「マルちゃん」の番号を、あのジュニーニョが背負ったと考えると何か誇らしい。
銅像建立はひとまず延期になったけど、ジュニーニョはJリーグの大貢献者です。

それでムタイルの記憶は・・・TV『筋肉番付』で、サポーターにコールされつつ何かやってた(大汗)
川崎ファンの方ごめんなさい。

→ ルディ
2003年横浜FC。私がルディと聞いて思い浮かべるのはルディ・フェラー(元ドイツ代表のレジェンド)、
ルディ・フォンエリック(漫画『蒼き伝説シュート!』のライバルキャラ)、ルディ・アシュレ
(メガドライブのゲーム『ファンタシースターⅣ』主人公)の3人。

そしてこの「ルディ・バタ」は、アルバニア代表で長く活躍したDF。リトバルスキー繋がりで入団との事。
横浜FCがリティ監督の当時、チームには眞中幹夫、大柴健二、吉武剛、大久保哲哉、内田智也、
神野卓哉、後藤義一、城彰二といった選手が在籍。水戸でも馴染みの河野淳吾の名前もあります。

90年代初頭まで共産党による恐怖政治が敷かれていたアルバニアで、彼はフランスへの亡命を決行。
亡命者への1年間公式戦出場停止処分が解けた後、ルマンやセルティック(スコットランド)でプレー。
母国で共産主義体制が崩壊してからは代表キャプテンも務めるという、凄まじい経歴の持ち主です。

Jリーグ開幕時に「♪オーレ、オレオレ」と浮かれてた私。地球の裏側では文字通り命を削る思いで
サッカーを続けていた人もいる。歴史を紐解くたび、自分の浅さを思い知らされます。

→ イジドーロ
2000年川崎フロンターレ。母国ブラジルにおいて13ものクラブを渡り歩いたFW。
本名はアレックス・サンドロ・サンターナ・オリヴェイラ。足し算したら完全無欠の
選手/指導者になりそう(笑)川崎における第一期J1時代において9試合2得点。

数字的に『駄目助っ人』と言われそうだけど、チーム全体のシーズン総得点が26という中で挙げたゴール。
フロンターレが本格的に力をつけた02年あたりに加入していたら、もしかしてジュニーニョのような
存在になっていたかもしれない。改めて「巡り合わせ」というものを考えさせられます。

話は変わりますが川崎や鹿島が強豪となった理由のひとつに、徹底したブラジル路線があると思います。
選手獲得やコミュニケーションを含めたノウハウも、着実に蓄積されているのかなと。
結果として近年の川崎はストライカーを外さず、鹿島は指導者を外さない。

だからといって全チームがブラジルにこだわる必要はなく、むしろアルゼンチン路線やかつてのジェフ
みたいに東欧路線もあった方が面白いのですが、クラブの強化と運営に『哲学』が感じられるか?
そこにサポーター、スポンサーは付いてくるのだと思います。

・・・またしてもイジドーロ、関係ありませんでしたね(汗)


以上、楽しんでいただけたでしょうか。オフの暇つぶし(?)となれば幸いです。
該当選手を未見だと、知ったかぶりの脇道に行かざるをえない。
それでも刀尽き矢折れるまで、しりとりを繋ぎつづけたいです。

と、格好良い風の事を言いつつも何より
「水戸もボランティアも、関係ないじゃん!」
というツッコミに、ビクビクする今日この頃です。

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