Jリーグクラブ・水戸ホーリーホックを裏方としてサポートする、ボランティアスタッフのブログです。

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先ごろ完結となった企画・Jリーグ助っ人しりとり。改めて100名の軌跡をたどってみましょう。
お読みになっている皆さんが、以下の選手を何名知っているかによって、マニア度がわかります!

0 ~ 9名 ・・・ 一般人
10~24名 ・・・ サッカー好き
25~39名 ・・・ Jリーグ愛好家
40~54名 ・・・ 黒帯
55~69名 ・・・ 師範代
70~84名 ・・・ 達人
85~99名 ・・・ 界王
100名 ・・・ 病気


それでは初回から順を追って。

第1回
→ リトバルスキー → キム・ヒョンソク → クラウジオ
 → オゼアス → スターレンス
第2回
→ スキラッチ → チョウ・キジェ → エウレル
 → ルーファー → アレイニコフ
第3回
→ ブリット → トログリオ → オリバ
 → バルディビエソ → ソーヴィシュ
第4回
→ ユ・サンチョル → ルル → ルンメニゲ
 → ケリー → リネカー
第5回
→ ガビリア → アマリージャ → ジャメーリ
 → リカルド・ロボ → ポポ
第6回
→ ボリ → リエップ → ファネンブルグ
 → クビツァ → アルシンド
第7回
→ トーレス → ストイチコフ → プロタソフ
 → ブルカ → ガルサ
第8回
→ サウロ → ロッサム → ムタイル
 → ルディ → イジドーロ
第9回
→ ロブレク → グラウ → ヴァウド
 → ドゥドゥ → ヴァスティッチ
第10回
→ チョン・ヨンデ → デルリス → スピラノビッチ
 → チェ・ヨンス → スカチェンコ
第11回
→ コリカ → カボレ → レ
 → レジ → ジーコ
第12回
→ ゴイコエチェア → アマラオ → オッツェ
 → エジムンド → トゥット
第13回
→ トゥイード → ドゥンガ → カドゥー
 → ヴィドマー → マーク・バーク
第14回
→ クルーク → クルプニ → ニーノ・ブーレ
 → レディアコフ → フランク
第15回
→ グラウシオ → オリビエ → エムボマ
 → マラドーナ → ナザ
第16回
→ サパタ → ダバツ → ツベイバ
 → ハメド → トリビソンノ
第17回
→ ノグチピント → ドロブニャク → グーガ
 → カポネ → ネネ
第18回
→ ネイハイス → ストイコビッチ → チカ
 → カーリッチ → チキアルセ
第19回
→ セドロスキー → キム・キス → ストヤノフ
 → ブッフバルト → ドゥンビア
第20回
→ アレックス・ミネイロ → ロニー → ニキフォロフ
 → フォックス → スコルテン



・・・いかがでしたか?全員わかった方、また違うルートでしりとりをつないだという方は
俺のほうが重度係まで(笑)

by 小番頭・K

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皆さんいかがお過ごしでしょう?クラブ関連の情報もまだ少なく、禁断症状出てませんか?
オフのお供に選手しりとりはいかがでしょう。少し考えたら日本人より、外国籍の方が楽だと判明。
例えば「ほんだけいすけ」に続いて「け」で始まる苗字って、恐ろしく難しい(苦笑)

3年間にわたって細々とつないできた助っ人しりとりも、第20回を数えました。
前回はJ2経由コートジボワール代表・ドゥンビアで終了。

→ アレックス・ミネイロ
2005年~2006年鹿島アントラーズ。活躍する助っ人には『良薬』『劇薬』2つのパターンが
あるのですが彼は紛れもなく良薬タイプですね。周りを活かして自分も活きるFW。

劇薬はインパクトあって面白いけど、チーム仲が悪くなったり、依存度が高まったり、
退団後に何も残らなかったり。とはいえ刺激があって初めて組織が変わるケースもあるわけで、
その時々で良薬・劇薬どちらを選ぶかに目をつけるのも、助っ人ウォッチャーの楽しみかと。

→ ロニー
2008年横浜F・マリノス。2008年ガンバ大阪。マリノスでは鈴木隆行選手の後に「背番号9」を付ける。
ガンバが『他のJクラブからストライカー獲得し、中東に輸出する』チーム戦略(?)を実行していた影響もあり、
シーズン途中で移籍。日本人には抵抗あるけどこういうサイクル、海外ではポピュラーな事例でしょうか?

名前で思い出したのが学生時代、所属してた演劇サークルの後輩。可愛い女の子でしたが色白で背が高かった
ため「ロニー」と呼ばれてました。由来はマカロニから。今思えばひどい話ですね(苦笑)
同じく身長からあだ名が「ちびっこ」もいました。本人は意に介さず。メンタル強いって、こういう事ではと。

→ ニキフォロフ
2003年~2004年浦和レッドダイヤモンズ。ロシア代表として日韓W杯で日本代表と対戦。
屈強なセンターバックで、レッズのタイトル獲得に貢献するも怪我に泣かされ・・・というパターン多い気が(汗)
アタッカーに比べ守備系の助っ人はある程度年齢を重ねて来日するから、身体にかかる負担もあるのでしょう。
異国の地で治療やリハビリに時間を費やすって、精神的にきついだろうなあ・・・。

→ フォックス
1998年~2000年サンフレッチェ広島。トニー・ポポヴィッチ、上村健一とともに鋼鉄の3バックを形成。
このチームがゴリゴリの肉弾系サッカーをしていたなんて、今となっては信じられませんね。

歴史をひもとけば風間&森保のボランチを筆頭とした、知的フットボールでステージを制したのは1994年。
その後戦術を個人技重視に切り替えて上手くいかず、さらにJリーグバブル崩壊を受けて経営難。
彼が活躍したのはその頃。理想を取り戻すのに10年、優勝までさらに数年。泣ける紆余曲折があったわけで。

地道に育てた選手を引き抜かれる問題は今も残っていますが、貧乏に負けず確固たる成長サイクルを築いた
サンフレッチェには、最大限の拍手を送りたいです。地方クラブが目指すべき形のひとつを提示してくれた。
現在の広島にフォックスのような「フィジカルの鬼」が入ったら、どんな化学反応を起こすか?それも楽しみです。

→ スコルテン
1997年~1998年ジェフユナイテッド市原。チームの暗黒期を支えた守備のユーティリティ。
彼が居なければ心が折れて、今頃サッカーに関わっていなかったかも。私にとって大きな存在でした。

来日当時は既に30代半ば。スピード面は厳しかったものの、読みと統率力でほぼカバー。
ゲーム『サカつく』は実在の選手が若返って出てくるのも特徴で、17歳のスコルテンが
「老獪なディフェンスを駆使して・・・」とか紹介されてて吹きました。老獪な高校生(笑)

個人的には最も救われた外国籍プレーヤーです。「スコルテン」という単語に無条件で平伏。
98年末の『J1参入決定戦』では、最終ラインから駆け上がり残留を手繰り寄せるゴールも記録しました。
同じピッチに立っていたのは鈴木隆行選手。助っ人の歴史にも随所で関わる隆行選手も凄い。



・・・あ、しりとり終わっちまった(大汗)。正確には終わらせたのですが。
助っ人100名つないだ節目、ネタの残量的にも良い頃合いでした。
本当のところ、当ブログで一番苦しめられた企画。選手データを半日がかりでかき集める労力の割には
反応が微妙というコストパフォーマンスの悪さ(苦笑)。全て自分でまいた種、半端に引っ込めるわけにもいかず。

名前をつなぐより、調べ学習にやられた「しりとり地獄」から解放され、清々しい気持ちです。
しかしルートによっては、100名の先へ行く事もおそらく可能でしょう。
さあ、あなたも挑戦!頑張ればきっとできるはず(←道連れを増やす策略 笑)

by 小番頭・K


2014年ブラジルW杯の組み合わせが決まりました。日本代表が予選リーグで対戦するのは
コロンビア、ギリシャ、コートジボワール。普段情報の少ない国だけに、かえって不気味です。

これから各媒体で特集されると思いますが、コロンビア代表FWファルカオは物凄い。
数年前EL(ヨーロッパリーグ)中継で見かけた時、インチキな決定力に笑ってしまいました。
彼の他にも逸材はゴロゴロ。油断しないのはもちろん、日本の良さを磨いて本戦に臨みたいですね。

Jリーグで応援するチームの外国籍選手が、代表招集されると嬉しいものです。それがW杯なら尚更。
来年はどんな助っ人が活躍し、世界に名を轟かすのか?ストーブリーグの補強動向も気になる所です。
しりとりするには絶好のタイミング、前回はW杯に2度出場した元パラグアイ代表、チキアルセで終了。

→ セドロスキー
2004年ベガルタ仙台。私が水戸の試合を観はじめた年か。笠松の電光に表示されてたかな・・・。
マケドニア代表として100試合に出場したDF。母国では英雄の類でしょう。
岐阜にFWバージェが加入した時「マケドニア?斬新!」と思ったのですが、偉大な前例があったのですね。

→ キム・キス
2005年~2007年水戸ホーリーホック。な、懐かしい・・・(涙)
サイドバックとして試合に出たり出なかったりだけど、時折目の覚めるようなミドルシュートを放つ。
今季JFL福島ユナイテッドで現役引退。水戸と福島でキャリアを全うしたのも泣ける。
以下、引退コメントを引用します。

「思い返せば僕が福島に来た時は数名の観客の中で試合をしていました。それが今は数千名の方々の中で
プレー出来るようになりました。努力をして結果を出せばクラブが大きくなり、
頑張れば頑張るほど多くの人が応援してくれる、目に見えてわかるこの変化は僕自身の原動力に
なっていましたし、クラブやチームの成長に繋がっていたと思います」

・・・だ、駄目だ我慢できない(号泣)。ツイッターでは見事な子煩悩ぶりを発揮。
彼が水戸ホーリーホックでプレーしていた事を、改めて誇りに思います。

→ ストヤノフ
2005年~2007年ジェフユナイテッド市原・千葉。2007年~2010年サンフレッチェ広島。
2011年ファジアーノ岡山。ジェフ伝統のひとつに「老獪な助っ人センターバック」が挙げられるけど、
彼はそれに加えてスピード、展開力、キープ力、FKまで蹴れた。世界は広いなと震えました。

熱すぎる気性が時折裏目に出るものの、一流のプレーで楽しませてくれた元ブルガリア代表。
市原臨海のゴール裏で送った「ス、ト、ヤノフ!ストヤノフ!」の応援コールは、
ジェフサポ最晩年の思い出として鮮明に残っています。

→ ブッフバルト
1994年~1997年浦和レッドダイヤモンズ。もし『Jリーグ神社』なるものがあったら、
神々として確実に祀られますね。TV地上波中継がまだ盛んだった頃、その存在感は群を抜いてました。
W杯決勝でマラドーナを完封したという伝説は、もはや私のスケールで測れる偉大さじゃありません。
確実に言えるのは、もし自分がFWとしてマッチアップしたら、確実にチビるであろう事。

未見ネタを無理やり探すと、プロ選手としてのキャリアはシュトゥットガルト・キッカーズで開始。
世代的にはコロコロコミックで連載されていたサッカー漫画『がんばれ!キッカーズ』を思い出します。
イケメン(当時基準で)本郷キャプテンに憧れましたね。GKが帽子着用というのも懐かしい。

あと写真を見返して私の父が体格・顔立ちともにブッフバルト似という驚愕の事実が発覚!!
ちなみに私自身は全く似てません。ガンバ大阪の二川選手に檄似です(笑)

→ ドゥンビア
2006年~2008年柏レイソル。2008年徳島ヴォルティス。
W杯初戦で日本と対峙する、コートジボワール代表FW。桁外れのスピードが強く印象に残ってますが、
プレー動画で目を見張るのはインサイドキックの正確さ。欧州を舞台に活躍する現在につながる技術だなと。
ドゥンビアvs柿谷の元チームメート対決も実現したら楽しみです。


未明の地震で目が覚めてしまい、そのまま眠れずにブログでも更新するかと。
秋の大型台風など、あまり記憶にない気候が続きます。自然現象も含め何かとキナ臭い昨今ですが、
週末のスポーツを安全に楽しめる事は平和の証。『日常を守る』手段や考え方には色々あるけど、
エゴと不信感メインではなく、美徳と智慧を駆使していきたいもの。などと深夜に考えてみる(苦笑)

歴史から学べる人間の特権は、生かさなくちゃいけない。単純に「知識が増える=賢くなる」わけではなく、
本質的な業や愚かさは昔と大して変わりません。誰しも食いっぱぐれれば、何を起こすかわからない事は
折り込んでおくべき。それぞれ実際にどういう行動を取るかは、また別の話として。

・・・・・・私は何を言っているのでしょう(大汗)やはりこの時間帯の文章は危険ですね。
現在午前4時、しりとりを書き上げる頃にはきっと夜も明けます。
日本のサッカー文化に貢献した多士済々の助っ人達に思いをはせ、何かを再発見できればと。
前回はレッズ黄金期のDF・ネネで終了。


→ ネイハイス
1997年~1998年浦和レッドダイヤモンズ。強力無比のヘディングで得点源にもなったDF。
今や水戸不動の守護超神・本間幸司選手と同じ時期レッズに所属していたのですね。
その頃のメンバーを見返すとブッフバルト、岡野雅行、福田正博、ベギリスタイン、小野伸二といった
錚々たるプレーヤーと練習していた事に。本間選手の凄みは、この辺にもルーツがあるのかなと。

→ ストイコビッチ
1994年~2001年名古屋グランパスエイト。もはや説明不要の大功労者。
しかし元ジェフサポの私にとって、彼の存在は「尊敬」よりも「脅威」そのものでした。
伝説の『長良川雨中リフティング』における、対戦相手は他ならぬジェフ。
回顧番組で繰り返し放送される『資料映像の刑』、なかなかヘビーでした(苦笑)

改めてプレー映像を見返すと、「華麗さ」「えぐさ」が絶妙なバランスで混在しています。
DFの考えを見透かした切り返し、GKが捕球体勢に入る2テンポ前でシュートを打ちきってしまう。
もしマッチアップするのが自分だったら、嫌で嫌で仕方なかったろうなあ。

10代で兵役に出されたり、クラブの八百長疑惑に巻き込まれ欧州王者タイトルを剥奪されたり、
その人生も波乱万丈。おそらく我々とは視野というか、見えているものが全く違うのでしょう。
ボールタッチは柔らかでも、込められた意図は容赦ない。残酷だからこそ美しい、J史上最高の10番です。

→ チカ
2004年~2007年ザスパ草津。Jリーグデビューは笠松で行われた水戸戦。
北関東対決をなかなか勝ちきれなかった頃、電光掲示に「チカ」と表示されると嫌な感じがしたなあ。
彼からペ・スンジン、チェ・ソンヨンと続く『群馬の壁3部作』は、かなり手強かったです。

こういう歴史も懐かしく語れるようになったというか、なってしまったというか。
笠松時代に戻りたいとはあまり思わないけど、スタグルの担担麺はもう一度食べてみたいなあ・・・。

→ カーリッチ
1997年~1998年ガンバ大阪。当しりとり企画、やけにガンバ率とレッズ率が高い件(大汗)
この両チームは特に90年代、欧州はじめ多様な地域から選手を連れてきた背景があるゆえ。
ブラジル籍に多い『ニョ』は返しも限られてるし、韓国籍は『ン』で終わったりするからなかなか難しい。

97年あたりはJリーグバブルの終焉とジェフの低迷、そして自分のイケてない高校生活が重なり、
あまり明るい思い出がありません(苦笑)学校が終わればさっさと帰宅し、セガサターンの『サカつく2』を
夜遅くまでにプレーするのだけが楽しみでした。ゲームを通して得た選手データや運営知識が
現在のサッカーボランティアに役立ってるから、今となってはそれでも良かったのかな。

カーリッチはスロベニア代表でバリバリ活躍した守備的MF。しかし当時のチームにはエムボマなど、
強力な助っ人達がポジション確保していたため、『第4の外国人』扱い。何という贅沢。
水戸にも代表クラスをベンチに置けるような時代が、いつか訪れるのでしょうか?

→ チキアルセ
2003年ガンバ大阪。「南米最高の右サイドバック」という称号を引っさげ入団も、フィットせず。
私はデルリス(水戸伝説のFW・故人)に感化された事もあり、パラグアイの勇敢さが大好きです。
FC東京にいたササ・サルセードも鋭利で格好良かったなあ。

言葉や文化の違いなどハードルはあるけど、「ブラジル以外の南米」も沢山見てみたい。
パラグアイ、ウルグアイ、エクアドルあたり、日本人がまだ見ぬ凄い素材が潜んでいると思います。


苦しい時期こそ、しりとり!当ブログの合言葉でございます(笑)
ここまで80名をつなぎ、ネタそのものが苦しくなってきましたが、めげずに頑張ります。
前回はJ創世記のレッズを支えた、トリビソンノで終了。もはや自分の記憶との格闘ですね。


→ ノグチピント
2001年~2002年/2003年大分トリニータ。2002年サガン鳥栖。
2004年~2006年柏レイソル。2007年アビスパ福岡。
小学生の時にブラジルから埼玉県加須市に引っ越し、日本帰化した彼を「助っ人」として良いものか?
しかもセカンドネーム『エリキソン』を加えたら、しりとりが終わってしまうという(大汗)

九州のJクラブは個性派のGKが育つ印象。
西川周作(大分→広島)、佐藤優也(北九州→東京V)、金山隼樹(長崎)など
「この才能、どこから沸いた?」と唸らせるプレーヤーが年に1人は現れます。
佐藤選手に関しては甲府や札幌での所属歴もあるけど、北九州で一気にブレイクしましたからね。

ノグチピント選手も名鑑を見るたび気になっていた存在ですが、残念ながらプレーは未見。
福岡退団後は郡山→長野と転戦し、現在はタイリーグで奮闘する日々。同い年だけに頑張ってほしい。

タイといえば来月からの移籍が発表されたカレン・ロバート選手。
現所属のVVVフェンロ(オランダ)では、10番を背負っていたのですね。
興味がなかったわけじゃないけど、情報断絶は恐ろしい。
彼も日本の高校で活躍、ルックスの良さもあり「モテるんだろうな~」と純粋(不純?)な感想を持った当時。
あれからもう10年が経とうとしてます。J復帰クラブは水戸でどうですか?茨城県土浦市出身。

→ ドロブニャク
1998年~1999年ガンバ大阪。「どぶろく」+「コニャック」で酒に強そうだと勝手なイメージを
抱いていた高校生当時。そのネタを誰に披露する機会もなく成人した私は、お酒をほとんど飲めません(苦笑)
ドロブニャク選手本人はユーゴスラビア代表でも高い決定率を残した、優秀なFWでした。

現在の国籍はモンテネグロ。繰り返される紛争によって分裂した国々。民族や宗教が複雑に入り組む中、
彼らは何かを失ったのか?それとも取り戻したのか?深く考えさせられるテーマです。
これまで馴染みの薄かった東欧で日本人がプレーしたり、代表クラスがJで活躍する近年。
互いの文化や考え方を理解し、サッカーを存分に楽しめる時代が来てほしい。アジア地域との関係性も同様。

→ グーガ
1996年セレッソ大阪。私もしばらく忘れてました(汗)何せ日本でプレーしたのがわずか4か月。
移籍は実に21回。しかしエクアドル、ブラジル、サウジアラビア3か国で得点王に輝いた経歴から、
間違いなく実力あるFWだったでしょう。1つのクラブに忠誠を誓うのも格好いいけど、
己の足だけを頼りに新天地へ道を求め続ける生き方も、男のロマンとして憧れます。

それにしても当時のセレッソ大阪メンバー。森島氏や西澤氏といったクラブの象徴はもちろん
木澤正徳、藏田茂樹、稲垣博行、神田勝夫、皆本勝弘、見崎充洋、百武義成など
粗いながらも楽しそうにサッカーをしていた雰囲気を思い出し、何か泣けました。

→ カポネ
1997年京都パープルサンガ。高校時代の大半を費やしたトラウマゲーム『サカつく2』において、
序盤の有力な補強対象として紹介されていた記憶が。しかしJクラブから獲得するには移籍金が
かかってしまうため、資金に乏しい1年目は無所属のそこそこ優秀なプレーヤーで入れ替えを図るのが鉄則。
というわけで『ランクス常陸太田』のユニフォームに、カポネ選手が袖を通す事はありませんでした(苦笑)

ゲームを始めた当初はそんな攻略法も知らず、ランク的に「D」から「F」の選手達を我慢強く育成。
土のグラウンドをひたすら走らせるという、昭和的なトレーニングで(笑)
選手間の不仲に頭を抱え、「お前ら仲良くしろ!」とTV画面に向かって叫んだ事も。ああ恥ずかしい。
8年目に横浜フリューゲルスをVゴールで破って初優勝を決めた時は、感動で背筋がしびれました。

攻略本を買ってからは設備やホームタウン投資など、効率的な強化法を学びお金が余るぐらいのクラブ経営
できるようになりましたが、結局いちばん楽しかったのは無知で我流なやり方をしていた頃だなと。
初期メンバーにて、絶大な存在感を発揮した孤高のストライカー「加藤文夫」よ、永遠なれ・・・!

→ ネネ
2004年~2007年浦和レッズ。各年度のリーグ戦出場は10試合前後。もっと出ていたイメージが。
怪我に悩まされ目立った数字は残せなかったものの、要所できっちり仕事して浦和の黄金時代を支えました。

こういう活躍の仕方は「持ってる」のか?「持ってない」のか?クラブとして評価は高いのか?低いのか?
下世話な疑問を抱いてしまいますが、ひとまずサッカー選手にとって怪我は痛い。精神的にも肉体的にも。
それは基本的な共感として応援するのが良いかなと。痛さと背中合わせに、彼らは日々闘っているのだと。

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